ダウンロード

マニュアル、データシート、ソフトウェアなどのダウンロード:

ダウンロード・タイプ
型名またはキーワード

フィードバック

祖母が後押ししてくれた

andreea-and-grandmother

諦める?うちの家系ではありえない!

アンドレア・テオドレスク:Premier Farnell社グローバル・シニア・コマーシャル・マーケティング・マネージャ(Farnell element14 / Newark element14 / element14)

エンジニアリング学位の4年目は、想像を絶するほど過酷なものでした。

ハードな課程だということは始まる前から予測していましたが、それ以上だったのです。私の両親はどちらもエンジニアでした。祖父母もやはりエンジニアでした。だから、そのことは誰よりもよくわかっていたはずです(もちろん、自分がエンジニアになると運命づけられていたと言うつもりはありません。足を骨折して実際に病院で時間を過ごすまでは、ずっと医者になりたいと思っていたくらいです)。

大学での勉強は本当に好きでした。科目を選択する時期になると、家族と同じように、私も当然同じ道を目指しました。土木工学から物理、運輸といった具合にです。医用生体工学にも挑戦しました。ギリシャ語では学位も取得しました。

授業、論文、試験と、さすがにこの4年目はやるべきことが多すぎました。私は限界に達しつつありました。ついにこんなふうに思いました。「そうね。エンジニア以外の道もありかもしれない。この分野は私にとって難しすぎたんだわ」。


私をエンジニアの道に強く引き戻す結果になった、何かドラマチックな出来事でも起きていればよかったのにと思います。でも、現実は決してそのようなものではなかったのです。


そのあたりの事情をうまくお伝えするために、祖母のことをお話ししたいと思います。すでに申し上げたように、祖母もエンジニアでした。実際、彼女は当時のルーマニアで大学の工学部を卒業した最初の女性たちの一人だったのです。それは1956年に遡ります。この分野は今よりもずっと男性優位の社会だったのです。

grandmother
andreea-today

祖母はガラツィという港町に暮らしていました。最も大きな勤め口は造船所でした。家族は貧しく、祖母は毎日行き来する船を眺めて過ごしていました。彼女はそこに苦境を脱する道を見出したのかもしれません。彼女は造船技術を学び、引退するまでずっとその分野で仕事を続けたのです。

彼女のキャリアは驚くべきものでした。最初の勤務地はブカレスト近郊のジュルジュ港でした。やがて研究所に移り、造船設計などを手掛けたのち、運輸省で働くようになりました。

ほとんどのルーマニア人にとって外国旅行など考えられなかった時代に、祖母はフィンランドやナント、リベリアにまで渡航していたのです。彼女の役割は貨物船の生産性を高めることでした。技術の良し悪しを判断する方法はただ1つ、実運用で正常に動作するかを確認することでした。最新技術をテストし、輸送や造船に活用するのです。

頑固な気質もキャリア形成に役立ったに違いありません。タフなタイプではありませんが、集中力がありました。いつもこう言っていました。「才能があって頭が良くても、仕事はいつでも一生懸命にやらなきゃだめよ」。

ガラツィ時代に祖母が貧しさから脱出できたのは、この姿勢があったからなのです。不屈の精神と決断力です。

実際、私の祖母がこのように何かを語るときは、黙って聞くしかないのです。うっかり茶化したら、もう大変です。祖母は何かこうしようと思うことがあると、とても激しく主張するのです。もちろん、常に上品な態度ではありましたけれども。祖父ですら祖母を恐れていたと思います。

祖母は、懸命に努力する必要があることを私たちに伝えようとしていましたが、決して言葉での説明ではありませんでした。私は15歳になるまでずっと午後の時間を祖母と一緒に過ごしていました。誰かのそばにいると、知らず知らずのうちにその人に感化されてしまうものです。私たちはかなり親しい関係にありました。実際、私は祖母のことをルーマニア語の「ママ」という言葉で呼んでいました。私には母が二人いたわけです。祖母はエレナ・ママ、母はユリア・ママというように。

学位取得を目指していた最終学年の頃を振り返ってみると、やはり祖母に感謝しなければならないでしょう。自分にこう言い聞かせたのです。「人生の貴重な4年間を決して無駄にはしない」と。実際に、寸暇を惜しまず全力で努力することで、最後までやり通すことができました。祖母が示してくれた手本に従ったのです。

そしてついにやり遂げたのです。合格です。

私は英国に渡り、Premier Farnell社に職を得ました。10年経った今もここで働いています。

この職場をとても気に入っています。この分野に関わるあらゆる種類の人と出会うチャンスがあります。テクトロニクスもその1つで、もう何年間も一緒に仕事を続けています。半導体や受動素子、測定など、毎日のように幅広い分野の専門家との出会いがあります。毎日新しい学びがあり、常に最先端の場所に身を置くことができます。もちろん、私の祖母、エレナ・ママは、今もなお私にとって最大の支援者です。

こうして、私はここまでやり通すことができました。決断力?根気?

それを何と呼ぼうと、その原動力は私の家族の中にあったのだと思います。